協会たより

2013年10月16日 水曜日

コラム「いじめ」問題への一考察

コラム
「いじめ」問題への一考察
横須賀共済病院小児科
 番場 正博

 
 去年から新聞テレビを賑わせている問題として、「いじめ」の問題があります。いうまでもなく、世界中にある問題であり、昔からあることなのですが、最近になって、その根絶を求める論調が目立ってきているようです。ここでは社会的側面に限って、私見を述べてみたいと思います。「いじめ」を無くす、または激減させるためには、社会的な手当てとしていくつかの方法があります。ひとつは家庭であれ教育現場であれ、子供達が無条件に従うような権威の構築です。家庭は、子供たちが社会的規範、または共同体の諸価値を学ぶ場の一つと看做されていました。しかし、家庭や教育機関が既にそのような役割を強制する力を失ったことは明白です。さらには、それらの復活に反対する勢力の方がまだ強いでしょう。これが神経症の原因になると主張する論者もいますし、オイディプス神話の再現になるかも知れません。ふたつめは、罰則の強化です。本気で「いじめ」をなくそうとするなら、
加害者及びその保護者に対して、通学禁止、退学、入学禁止などの社会的制裁が必要です。これにも反対意見が多くあると思います。量刑の決定をどうするか、加害者の人権を如何考えるか、冤罪が起こる可能性など、課題はあります。一般に加害者とその保護者はこの問題の重さについての認識が、希薄であるような印象です。第三の方法は、監視の徹底です。ベンサムの提唱したような、パノプティコン(全展望監視装置)の概念でしょうか。監獄の中で監視員が囚人から見えない状態で監視できれば、常時、監視されているよりも効果的であるという理論です。このことの是非はさておき、「いじめ」を減らすということを至上命題に据えて考えれば、これも有りかということになります。そして、より根源的な解決は、社会が多様な価値観をもつ人間の相互関係として完成されることでしょう。ヒトそれぞれの環境世界へのかかわりや精神活動には多様なものがあります。その違いと存在価値を認めあい、差別選別の意識をなくしていく作業が、相互に信頼しあう社会をつくりあげることに必要と思われます。

投稿者 神奈川県小児保健協会